2012年10月28日日曜日

誕生日

一年に一度は必ず、すべての人々にその日は訪れる。
これまでの一年。これからの一年。そして還暦。
還暦となれば、元に戻ることとなる。0になるのだ。
全てはリセットするわけにはならないけれど、
経験がプラスされての0からのスタートである。
さて、どのように行くべきか?面白いところだ。
還暦は年が明ければの事と思いつつ、もう目の前。
<お前は何をしてきたか?これからはなにをしたいのか?>
何、なに?
わからないのだ。
わかることは、こつこつ出来ることだけをするしかない。
派手な事など、論外。
まあ、健康を一番にしてこつこつ進めていこう。
今日は久し振りに魚道エリアにBBCのメンバーと行ってきた。
本匠のこのエリアは多分二年ぶり以上かも。
エンゼルタワーからリバーダンスまで一日を過ごした。
昨日の雨の影響もなく、魚道エリアは賑わった。
リバーダンス、レッドポイントを落としてしまい
課題が残った魚道エリアだった。
無理せず、クラインミング楽しもう。
川面からの風は秋の気配であった。

2012年10月21日日曜日

七五三

先日、大安のよき日にみーちゃんの七五三をすませることが出来た。
早や三歳となった今日この頃。まだ幼い部分が残っているものの、
会話することの道理は通っている事に驚く。
<三つ子の魂 百まで>というがすでに人格は備わっているものと感じる。
すこやかに育っていたわれる人になってほしいものだ。
今日はというと先週に引き続き、尾平のスラブへ。
N会の方たちとBBCのメンバーである。
夏休み倶楽部からのスタートからカモシカの声等、
日頃あまり取り付かないルートに。
紅葉はぼちぼち見ごろを迎える尾平であった。

2012年10月15日月曜日

秋 尾平

紅葉はまだまだ。久し振りにコーチ岩に取り付く。
スタートは奥嶽スラブからスタート。
今日はYパーテイ、N会の方々もご一緒である。
さすがにN会の方たちは正面壁の10台からのスタート。
総勢10数名が賑わった。





いつも思うが、スラブは格別である。慣れない。慣れた頃、下山。
不安だらけだが、スラブは出来ないから面白い。
奥嶽スラブルートは35m。50mのロープではロワーダウンするには足りない。
そこは、しっかり1ピッチ目の終了点がある。
吉野氏のルート開拓における苦労、設定に光るものがある。
風に吹かれて、をやっと登ったあげく、臥龍松に取り付き本日の終了とした。
最後にフリクションの効いた感触は
今ならの季節である。

2012年10月10日水曜日

薄暮トレーニング

日の入りが早くなった。
2時間ほどのトレーニングである。
APUまで上り十文字の展望台へ。
明礬の湯煙を見ながら鉄輪温泉通過。
帰路に着く。
気分的に充実感を覚えるのはなぜなのだろう?
だんだん日の入りは早くなり冬が近づく。

2012年10月9日火曜日

連休

金曜日の大洲から、週末の山岳連盟の講習会の準備と当日講習。
月曜日の祭日は、比叡クライミングとなった。
講習会はY副会長のもと、基本から実践のムーブまで。
午後の実践は、副会長自らリードしながらの解説。わかりやすい。
さて、最終日の比叡クライミングは今回4名。
2名ずつ、2パーテイーとし、同ルートをロープワークの確認を
しながら登ることにした。
ロープ操作とコール。コールは最小限にして行うことにしている。
昨年TAカンテを初めて登り、今回、比叡は2度目のNNさんにリードを
3ピッチほど任せることに。リードもこなし、フォローへのビレイも
なんとか出来たようだ。
次回が楽しみである。
Yパーテイーも難なく上がって来て稜線で休憩。
天気もよく、フリクションが効いた一日であった。

登ったルートを見上げる

2012年10月1日月曜日

鶴見岳

先月の26日から、今日まで行方不明者の捜索。
登山道の尾根道から沢筋まで行動。
不明者の発見には至らなかった。
鶴見岳は遭難が多い。深い山である。
山頂から鞍が戸、内山、扇山まで広範囲にわたる。
基本的に縦走路は尾根道だが、ほかに山腹も回るコースもある。
天気が良いときは別府湾を見ながらの歩きとなる。
自分の歩いたのを海岸線から見るとよくもあんなに歩いたものだと
感心させられる。
相変わらず、船底の道は悪かった。ロープの取替えを
しなければならないだろう。
桜谷、滝谷、地獄谷に至る林道は雨のため崩壊が凄いが
通行は可能。(林道は普段は一般車通行不能)
この分では谷もかなり崩壊しているのではないかと思われる。
再度の捜索要請があれば協力せねばなるまい。
いずれにしても遭難というのはあまり気持ちの良いものではない。
遭難には外的要因、内的要因がある。気をつけねば。